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「旅する本」
 最近、本の九〇パーセントをインターネットで手に入れるようになった。近所に大きな店がないということもある。ネット上の書店のほうが本を探すのに便利だ。一年前に発売された本などだと、実際の書店で見つけることがむずかしい。ネットでは検索ですぐに見つかる。というわけで、もっぱら本はネット購入が中心になってしまった。
 が、それでいいのか? と最近は疑問をもっている。まずなにより、書店の店先にならぶ新刊をゆっくり見て歩くときの、あのなんともいえない感覚を味わえない。本のなかには装幀にも主張をこめたものも少なくない。そういう本は手にとってみないとわからない。それに本というのはやはり「出会い」である。たまたま立ち寄った書店で、思わぬいい本を見つけるということもある。かつてはぼくもそうして本と出会っていた。
 ネットでは出会いはない。「出会い」と「検索」は意味が違う。本という存在感のあるモノが、ネットでは味気ない情報にかわってしまう。だからか、そうして届いた本も、封を切らないまま放置してしまうこともある。これではいかん! 本に失礼だ。
 けれど、最近は本屋さんもたくさんつぶれていて、大都市以外でまともな店を見つけることはむずかしい。まとも、というのはコミックと雑誌以外にも、きちんと本を揃えた店という意味である。
 その代わり増えたのが新古書店というブックストアだ。これがぼくは嫌いである。書くという立場からも認めるわけにはいかない。新刊本が売れなくなり(事実、売れないのだが)、やがて書くという行為は、物好きな趣味のようなものとして生き残るか、大ベストセラー狙いだけになってしまうかもしれない。
 それに許しがたいのは、古い本や簡単に売れそうにないものは引き取らない、並べないというその姿勢である。かつての古書店のように店員が本好きで、いろいろ知識があるというのでもない。できるだけスピーディーに売り抜けようという、ビジネスの論理だけが先行している。
 古本ならヘンに新しくない、前の持ち主のぬくもりが残っているような本がぼくはいい。鉛筆で書きこみがあったりして、ハーン、この人はどんな人なのだろう、と想像したりできる。
 最近ではブッククロッシングという運動がアメリカを中心に起こっている。読み終えた本を駅や公共の場に置いておくのだ。それをまただれかが読み、ふたたびどこかの公共の場にもどされる。本が手から手へ旅をするのである。その運動をやっているサイトでは、登録された本のID番号から、読んだ人が住んでいる場所、感想なども読める。本の旅を追うことができるのだ。ネットと本との新しい関係がそこにある。本が大量に消費され、そして裁断される情報ではなく、旅をする生きた存在として復権されるかもしれない。ぼくは日本でも広がらないか、秘かに期待している。
ウィズ・ファーマ2005 Vol.3 掲載


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