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「食する映画たち」5
 料理が映画の中心に躍り出たのは、やはり『バベットの晩餐会』からだろう。これ以上ないというほど、料理がスクリーンで完璧に芸術していた。あの映画が評判になった当時、バベットがつくったフレンチフルコースをそのまま再現して提供する、という企画があったことを思いだした。だから料理の詳細についてここでふれる必要もないだろう。
 たしかにすばらしい料理は食べる人を幸福にする。その真理をあれほど力強く描いた作品はそれまでなかった。ぼくは『バベットの晩餐会』が料理と映画の関係を変えたと思っている。以降、さまざまな映画がつくられた。が、料理が単なる小道具ではなく、人間そのものを描く重要なモチーフになるということを発見したこの作品がなかったら、映画状況もいまとはいささか異なったものになっていたかもしれない。
 たとえば『ショコラ』や『宮廷料理人ヴァテール』のような作品ははたして生まれただろうか?
 洋画だけではなく、邦画にも食のシーンはある。が、それほど心に残るものは多くはない。日本人が料理を一つの快楽として、一般的に愉しむようになったのは、考えてみれば最近のことだ。
 けれどやはり印象に残る場面はあるのだ。健啖家だった小津安二郎の作品では、ラーメンからトンカツ、カラスミまでいろいろ出てきた。どれもじつに旨そうだった。人によっては『お茶漬けの味』で木暮実智代と佐分利信が食べるお茶漬けを、一番にあげるのかもしれない。お茶漬けといえば『麦秋』で原節子もかきこんでいた。遅く帰って、ひとり台所で食べるのだが、それを色気があると評した人がいたけれど、ぼくには原節子の色気はほかにあると思う。
 じつは『麦秋』のなかにはそれを感じさせる食のシーンがあった。義理の姉役の三宅邦子と原節子が夜、子供たちに内緒でショートケーキを食べる。とても厚みのある豪華なケーキだった。モノクロで詳細は映像化されていなかったが、1951年というから戦後まもないころで、たいへん高級品だったはずだ。それを二人の女優がこそこそと愉しく口にするシーンは、まちがいなくある種の色気が漂っていた。
 この場面にはオチがある。じつはそこに近所に住む子持ちの男が尋ねてくる。彼は運良く、そのケーキにありつきご馳走になる。「こういうのちょくちょくやりたいなあ」などと暢気なことをいう。けれどその後、物語は急展開で原節子はその男と結婚することになるのだ。つまりそのケーキこそ、後で考えればあれがウエディングケーキにほかならなかった、というオチである。ほのぼのとして、うまそうな食のシーンである。ぼくのナンバーワンの場面をあげろいわれたら、いうまでもなくこれということになる。
 この原稿を書いていると、さまざまな場面が浮かんでは消えた。そのたびに食欲が刺激される。さてこんどはどんな食のシーンに出会うことができるか。
嗜好571号 (2004/5月)掲載


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